冨田少彦名神社石祠(橘新)
軒裏垂木が二段になっている「二軒」という様式の石造りの祠。桃山時代から江戸時代初期に造られたものとしては全国でも珍しく、川北町指定有形文化財となっています。
軒裏垂木が二段になっている「二軒」という様式の石造りの祠。桃山時代から江戸時代初期に造られたものとしては全国でも珍しく、川北町指定有形文化財となっています。
現在の本殿は、文久2(1862)年に再建されました。一間社流造りで屋根は柿葺き、きわめて豊富な彫刻が施されており、川北町指定有形文化財となっています。
川北町で生まれた剣聖草深甚四郎。幼い頃から剣術を好み、諸国修行の末、深甚流を編み出しました。毎年秋に行われる草深甚四郎慰霊剣道大会は、今では県内一の伝統と規模を誇る大会となり、多くの剣士が技を競い合っています。
明治11(1878)年10月5日、明治天皇北陸御巡幸の折、御休憩されたところです。現在は御座所の遺趾を中心に「明治天皇御休所公園」が整備されています。
元禄2(1689)年9月7日、俳聖松尾芭蕉が『奥の細道~加賀路行脚~』の途中に立ち寄り、木呂場から対岸の粟生に歩を進めた時に詠んだ句が刻まれた句碑です。
あかあかと
日は難面も
秋の風