川北町と手取川

手取川に寄り添い生きる

川北町で暮らすことは、手取川とともに暮らすこと。川は豊かな自然の恵みをもたらしてくれますが、時には甚大な被害を与えます。その被害を乗りこえて、先人たちは町の歴史を繋いできました。
手取川と向き合い、長い年月を過ごしてきた川北町には、自然と共生するための知恵が息づいているのです。

歴史に残る、幾度も繰り返された水害

霊峰白山を源に流れる石川県最大の河川「手取川」。全長72km、流域面積が県土の19%におよぶ大河の傍で、共に時を歩んできた川北町は、その豊富な水資源に毎日支えられて、稲作を主とした、恵みある穀倉地帯として発展してきました。

その一方で、「暴れ川」の名の下に、現在の穏やかな表情からは想像できないほどの水害が猛威を振るうこともありました。その中でも、昭和9(1934)年7月11日の「手取川大水害」は、死者・行方不明者112名におよぶ未曾有の大災害となりました。

手取川ダムが昭和55年に完成するまでの、川北町と繰り返された水害と治水の記録は、町の歴史として語り継がれています。

朝日地区の被害
堤防が切れる手取川

桜づつみ

手取川沿いのコミュニティー&スポーツ公園は、白山連峰を背景に、春になると全長950mにわたって桜が咲き誇ります。

鮎釣り

6月中旬から10月まで、手取川では鮎釣りを楽しむ釣り人の姿がみられます。

先人の復興精神から学ぶ

幾度となく起こる洪水から、先人たちは、当時、川除けと呼ばれた「霞堤」(二重構造で決壊を防ぐ堤防)や「村囲堤」(集落の周辺に設けた土手)など、多くの水防の知恵を生み出し、自らの命や財産を守ってきました。

手取川と共にあった生活から、人々は自らの力を原動力として災害から立ち上がる自力更生の復興精神「川筋根性」を身につけました。この精神は、子どもたちが水害の痕跡を訪ねる「かわきた探検」などの開催を通じて、今の時代へと受け継がれています。

手取川大洪水50周年記念碑(昭和59年)
手取川大洪水60周年記念
川北町俳句協会会員の献句(清流の碑)
かわきた探検

町全体で防災に取組む

近年、豪雨や地震など全国各地で大規模な災害が発生し、災害・減災対策の推進が自治体においても課題となっています。
川北町では、地域での防災訓練や、災害発生を想定した避難所開設訓練をはじめ、避難所等の備蓄品の拡充など、町民の生命と財産を守るため、安全・安心な町づくりを目指しています。
さらに、町内の全世帯に非常持出袋や防災行政無線個別受信機を配付しているほか、災害や火災、防犯などの情報をメール配信するサービスの実施に加え、自主防災組織の訓練や資機材整備への助成など、地域の防災に対する備えの強化を図っています。
毎年6月には、自衛消防隊合同訓練大会が手取川の河川敷を利用したコミュニティー&スポーツ公園で開催され、各地区の自衛消防隊員約200名が集い、ポンプ操法や放水の腕を競います。
30名余りで構成される川北町消防団は、町民の生命や財産を守る重要な役割を担い、火災防御訓練や広域圏で開催される消防訓練大会に参加するほか、啓蒙活動や日々の訓練に励んでいます。

防災訓練の様子
自衛消防隊合同訓練大会
川北町消防団